「終末ツーリング」の評価と感想


終末ものに特有の悲壮感や生存の過酷さといった側面を排し、静寂に包まれた滅びの世界の中でヨーコとアイリの二人が「かつての日常」を巡る。SFと旅が融合した、独特の情緒を感じさせるアニメです。


「終末ツーリング」の評価

【見てもらいたい度:🏚️🏚️🏚️➖➖(3/5)】

 

オススメ・ポイント

  • セリフやナレーションで説明するのではなく、物語や絵で世界観を少しずつ見せていくスタイル。
  • 実在の観光地を廃墟として描くことで、私たちの普通の日々のかけがえのなさ、その価値を再認識させる。
  • 人間の居ない世界で、巧みに人間のドラマを見せてくれる。

 

オススメの回

まず、第3話「世田谷・新橋・有明・東京ビッグサイト」です。
遺体に出会っても騒がない、滅びを受け入れている静かな描写がショッキングでした。Aパートの廃墟&死と、Bパートでのペンギンとの明るい戯れで描く活き活きとした生との対比が印象に残ります。

人間が居ない世界で、それでも人間の心を感じさせるドラマとして、第9話「モビリティリゾートもてぎ」も秀逸でした。


 

残念ポイント

謎を謎のままにしているのは狙い(後述)だろうし、それがこの作品の醍醐味なのだと思いますが「もっと知りたい」「せめて何かしら手がかりを」という渇望感が半端なかったです。

 

物心ついたときから世界が滅んでいたら?

このアニメでは滅びた世界に対しての悲壮感とか諦念のような特別な感情は無く、ただ淡々と名所(滅びてるけど)巡りを楽しんでいくだけです。

とても違和感のあるシチュエーションですが、「生まれた時から世界がこうだった」としたら、かつての繁栄を知らない彼女たちには、失ったものを惜しむ悲壮感などないのが当然でしょう。彼女たちにとって、世界は「壊れている」のではなく、最初から「こういう形」をしているのです。

ヨーコとアイリも、いつ、なぜ、どうやって人類が滅んだのか知らない、あるいは知ってはいても興味が無い。ただ、外の世界を見に行きたい。それは、エジプト文明が滅んだことにあまり興味は無くともピラミッドは見に行く、そんな感じに近いのかもしれません。

視聴者も二人と同じ立ち位置に置かれ、なぜ、どうやって人類が滅んだのかはそのまま置いておいて、滅んだ後の世界をただ一緒に見て回ることを求められているような、そんな感じを受けました。

 

ヨーコ、あんたはなんなのさ?(※ネタバレあり)

第1話「箱根」でアイリが機械であることが意外性とともに明かされたことで、私は無意識に「ヨーコは人間なんだ」という前提で観ていくことになりました。

これって、まんまと制作側にミスリードされてしまったのではないでしょうか?

滅びる前の世界の生々しい夢を見たり、傷が一晩で治ったり、暴風雨の中バイクを巧みに操縦する運動神経(もはや性能と言うべきか)を見ると、ヨーコもマシンなのではと思えてきます。 第11話「吉見百穴」にて、異星人が二人を「未来の可能性のひとつ」と称したのは、人類とは異なる新たな生命体(機械生命体)という意味だったのかもしれません。

 

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